『ヘブライ人への手紙』は難解だというのが定評ですが、読む私たちが時代も場所も遠く隔たった異国の近代人だからというだけではなく、書かれた当時からそう思われていたのです。
書かれた時期は、ほぼ紀元8、90年ころ、キリスト教がユダヤ教の分派だと思われた時期は過ぎてキリスト者と呼ばれるようになり、同時に迫害も次第に激しくなってきた時です。著者は特定されていませんが、洗練されたギリシア語を使う優れた学者であり、対象も学問のある人々なのです。内容は神学書、神学論文と考えてよいものであり、旧約聖書や神殿での犠牲制度に関して十分な知識を持っていることが前提になっている・・・それが難しい訳なのです。

 内容を大まかにまとめて見ますと、そのテーマは三つあるのが分かります。
主にキリスト論、救済論、終末論が語られています。イエス・キリストは神の子であって、創造の業に参与され、世界の支配者であられる。神の子ながら人間として生まれ、現実の人間の弱さを自らのものとして歴史の中に生きた方である。新約の大祭司として天の至聖所に入り、自らを犠牲として献げられたことによって、我々の罪が清められて永遠の救いが完成したのです。
またヘブライ人への手紙にはキリストの再臨を待望する希望、最後の審判への恐れ、天のエルサレムを目標として生きるなどの未来的終末論と並んで、終末はキリストと共にすでに始まっているという現在的終末論も現れています。著者はすでに、あるいは近い将来に迫害に遭うことを予期しなければならない状態にあって、もろもろの苦しみは、神による鍛錬であるから忍耐して耐えなさいと教えています。

 父なる神は最高の知恵を持って、我々に最善のものを与えられる唯一の方として我々を訓練されるのです。神から出る訓練は苦しくても我々の益になることであると彼は教えるのです。

                               


ヘブライの信徒への手紙 12章3〜13節
訓練・・・神に見込まれて
2002年7月28日